人生のいろいろ。

こんばんわ。本日二回目の投稿です。今回は私の人生(笑)について記憶に残っているというか、衝撃的な出来事を話していこうと思います。頭の悪さが文章に染み出ると思いますが、最後まで読んでいただけたらとってもうれしいです。

ちょっと胸糞というかあまり良い気分になる話ではないので気を付けてください

 

まず人生で一番初めの悲劇は私が二歳の時の起こりました。

2011年「犯罪者の娘になった日」

この時の記憶は申し訳ないのですが私にはありません。なので母から聞いた内容をうまく文章にしてまとめたいと思います。

まず、この時父はCD屋で働いていて、母は派遣労働者でした。

ある日、父がお店の高額な商品を盗み、窃盗で捕まりました。

この時の家庭はものすごく貧しかったので、面会時、父はこれで養えると思ったと話したそうです。すごいあほですよね。

家のお金をいれていたのは殆ど父だったので、我が家はほぼ収入が0になり私と姉は祖父母の家で長いこと過ごしたそうです。姉はそこから長い時間かけて幼稚園に通っていました。

私たちが父がいなくなったことに対し質問したときは、「お仕事で長い間帰ってこれなくなっちゃたの」と優しい嘘をついてくれていました。

どれぐらいの期間だったんでしょうかね。父が帰ってきました。

誰にも謝罪の言葉ひとつもなく、普通に帰ってきて普通に過ごし、いつもの生活に戻っていきました。

ちなみに父は昔からやんちゃで酒、たばこ、喧嘩などで何度も停学、補導を繰り返した学生時代だったそうです。そして暴走族にも入っていた時期もあったとか。怖いですね。ほんと最悪です。

 

2013年「私と姉、夜ご飯は半分のバナナと大嫌いな牛乳」

このころから少し親に怯え始めていました。

ある日、私と姉が何かをしてしまい母を激怒させます。

叩いて、怒鳴られ、最終的にはまともな夜ご飯を食べれませんでした。バナナ一本を姉と半分こして食べろと言われ、茶色くてあんまりおいしくないバナナを姉と泣きながら食べたのを覚えています。

それから私たちが世界一といっていいほど嫌いな牛乳を無理やり飲まされ、泣きながら嗚咽しながら姉と頑張って飲みました(笑)。

姉は泣いた過呼吸と牛乳のまずさのせいで確か戻しちゃってました。

2015年「私と姉、母に殺されかける」

姉と一緒にお風呂にはいり、浴槽の中で遊んでいました。そしたら喧嘩勃発。

ギャーギャー泣きわめき、騒いでいるとお風呂のドアが開きました。

ママが助けに来てくれた!と思っていたのも束の間、母は包丁を私たちに向けたのです。

姉も私も「え、、」でした。それから数秒沈黙して、今何が起こっているのかを先に理解した姉が「ママやめて」と小さな声でつぶやきました。

その言葉で私も状況を理解し一気に血の気が引いたのを覚えています。

母はうるさいんだよとわめき、包丁をさらに近くに突き付けてきました。

怖すぎてよく覚えていませんが、私たちはママやめて、こっちこないでをただ叫び続けていました。そしたら母は自分に刃を向けて、じゃあ私が死ねばいい?みたいなことを言っていたと思います。叫んでわめいて、そこからどうなったのかはよく覚えていませんが、とにかく母が怖くて怖くて、悲しくて、なんだか憎い気持ちもありました。

今日はいったんここまでにします。また今度続きだします。

嫌な出来事を思い出すとかなり気分が悪くなりますね(笑)

 

 

最後までお読みいただきありがとうございます。